今週のメッセージ2016/09/11)

筆者自身の洗礼に至るまでの経過

 

8/7付の『実りある求道の秘訣』の最後で、「礼拝、聖書、手引の三点に求道を実りあるものにする秘訣がある」と記しました。

そこで今回は、参考のために筆者自身の洗礼に至るまでの経過を記してみましょう。

わたし自身の求道期間は、高校を卒業し、上京して一年間浪人生活をした間の7月末から洗礼を受けた10月4日までの約2ヵ月余りです。

「7月末」というのは、わたしが初めてキリスト教会に行くようになった時期です。その教会は、高校時代の同じクラスの友人のお兄さんが伝道・牧会していた教会です。行き始めた時から礼拝を初め、その前に持たれる日曜学校、週間の聖書研究・祈祷会等、いわゆる定例集会には全部出席するかたちで教会生活がスタートしました。これが幸いし、求道期間もわずか2ヵ月余りで洗礼に至ることが出来たとのだと今振り返って思います。

信仰というのは、生活の一部分と言うよりも、生活全体を根底において支えるものです。従って、導き手となる信仰者と、出来るだけ生活を共有出来ることが望ましいと言えます。しかも牧師先生が友人のお兄さんということもあって、集会以外にも、先生ご夫妻とお交わりの時を豊かに持たせていただきました。加えて教会の信徒の方々ともお交わりの時を持つことが出来ました。非常に恵まれた求道者だったと振り返って思います。

主イエス・キリストの弟子たちが、約3年と6ヵ月、主と起居を共にしながら歩んだということは“さもありなん”と思わされます。

求道は、出来るだけ指導者と生活を共に出来れば、それに越したことはないというのがわたし自身の求道に関する考え方です。現実には難しいかと思いますが、なるべくそれに近いのが望ましいと考えます。