今週のメッセージ201/09/25)

                                                             神の摂理(1) 

 

 「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。』」(新約聖書・使徒言行録9:3〜5)

 

 神の人類救済の御業がこの歴史の中でスタートしたのは、神が祝福の源として用いるべく、アブラハムという人物を選び、召し出された時に始まるといわれます。その時、神がアブラム(後のアブラハム)にかけられた召命のことばが、旧約聖書の創世記の12:1〜3に記されています。

 このアブラハムは、やがてイスラエル民族の祖となります。そして、このイスラエル民族の子孫として救い主イエス・キリストは誕生しました。

 イスラエルは、エルサレム神殿にこだわりを持っていました。また、他の民族に対して“異邦人”として非常に排斥的でした。そのようなイスラエルからキリスト教は誕生したわけです。

 では、このキリスト教が、どのようにしてエルサレム神殿へのこだわりを乗り越え、異邦人に対する排斥的姿勢を克服して全人類のための救いの福音となっていたのでしょうか。

 そのために特に用いられたのがパウロという人物です。彼に関して以下のような神の言葉が記されています。

 「主は言われた。『行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。』」

 (新約聖書・使徒言行録9:15)