今週のメッセージ201/10/16)

父なる神の鍛錬


 「あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。」(新約聖書・ヘブライ人への手紙12:7)


 人間誰しも、人生の歩みにおいて、さまざまな事柄が、願うように、都合良く展開することを望みます。信仰、信心を持って歩んでいるならば、なおさらその思いは強くなるのではないでしょうか。

 しかし、現実の人生は、さまざまの物事がそうそう都合良く展開するわけではありません。むしろその逆のように感じられることも避けられません。

 問題は、その時のそれに対する受け留め方です。英国の聖書注解者W・バークレイという人は、苦難や試練に対する誤った考え方・対し方として以下の四つを挙げています。

  1. 仕方がないとあきらめ、甘受する。(神は、愛の神ではなく専制君主)

  2. 反抗的な態度で神に挑む。(反抗心はあるが感謝がない)

  3. 自己憐憫そして自滅。

  4. 神の罰と考え、神を恨む。

 それに対して、冒頭の聖句は、それらの苦難や試練を父なる神の鍛錬として受け留め、忍耐しなさい、と勧めています。

 人間は生まれながらにして罪人、自己中心です。物事がすべて自分の望むようになったら、人間は成長出来ません。神は、そのような人間を成長させるべく、苦難や試練を巧みに用いて人間の成長の糧となさるのです。