今週のメッセージ201/10/23)

造り主なる神を畏れ、敬へ!


 「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に、」

(旧約聖書・伝道の書12:1a、口語訳)

 

 当方の教会の公用聖書は新共同訳なのだが、本日の聖句は口語訳を用いさせていただいた。別に翻訳にこだわってというわけではない。筆者の好みの故である。今の教会に転任して来たのは1992年である。その時使用されていたのは新改訳であったが、以前の教会では口語訳であった。というよりも、筆者が洗礼を受けた当時(1959年)、母教会で用いられていたのが口語訳であったので、それから33年間は口語訳を用いていたわけである。今の教会に赴任してから現在までが24年、その間、新改訳から新共同訳になったのだが、聖句によってはどうしても口語訳の方が・・・というのがあるわけで、本日の聖句もその類いであり、神学的理由はない。

 12章から成るこの書は、冒頭で著者が示されたのに続いて、「空の空、空の空、いっさいは空である」という虚無的響きを持つ言葉で始まって行く。次いで、「日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか」が続くのである。著者は人生の現実を直視し、その中に生きる意味を追い求める。しかし、そこにおいて辿り着いた結論は、冒頭と同じ「空の空、いっさいは空である」(128であった。

 そこで著者は、目を、人生の現実から造り主なる神へと転じることを勧め、最終的に、「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」(1213、と結論するわけである。「すべての人の本分」は実に重い響きをもって迫って来る!