今週のメッセージ201/11/27)

「疎い者」ではなく「聰い者」に!

 

 「見よ、わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に/子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって/この地を撃つことがないように。」

 (旧約聖書・マラキ書3:23,24)

 「以上すべてを証しする方が、言われる。『然り、わたしはすぐに来る。』アーメン、主イエスよ、来てください。主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。」

 (新約聖書・ヨハネの黙示録22:20,21)

 冒頭の聖句は、聖書を構成する旧約聖書と新約聖書のそれぞれの最後の言葉です。この二つの聖句には共通した特徴があります。それは、二つとも重要な存在の来臨について語っていることです。前者は、「預言者エリヤ」という表現で、救い主イエス・キリストの来臨に先立ち、その先駆者としてやって来る「洗礼者ヨハネ」の来臨について、後者は、「主イエスよ、来て下さい」と、イエス・キリストの再臨を待望する言葉が語られています。詰まりは、両方共イエス・キリストの来臨を求めるものです。

 先にすでに述べたように、前者は「救い主の来臨」に関するもの、後者は「救い主の再臨」に関するものです。救い主の来臨は「救いをもたらすもの」です。それに対して再臨は、その「救いの完成をもたらすもの」です。そして注意すべきことは、そのいずれの来臨についても、聖書において、人間は疎いと言われていることです。

 本日からクリスマスに向かって、更には再臨に向かっても備える意味を持つ待降節に入りました。そこで、特にこれから先に待つ再臨について、「疎い者」ではなく、「聰い者」となるべく、心を備えましょう!