今週のメッセージ201/12/25)

聖書が告げるキリスト降誕


 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(新約聖書・ヨハネ1:14)

 もちろんキリスト降誕は聖書の中心的なメッセージの一つですが、表題に敢えて「聖書が告げる」としたのは、それを告げるマタイ、ルカ、ヨハネのそれぞれの福音書の告げ方が異なるからです。

 マタイは、東方から占星術の学者たちが、黄金、乳香、没薬といった産まれ給うた御子に献げる宝物を携えてやって来て、御子のところに辿り着くと礼拝を献げたというかたちで告げています。ユダヤ人から見れば、学者たちは蔑みの対象の異邦人でした。他方、ユダヤの王ヘロデは王位を脅かす存在が現れたとして密かに殺害を企てました。祭司長、律法学者といった当時の宗教的指導者たちは、メシアに関する知識は持っていましたが、誕生には気付かず、従って礼拝も献げませんでした。しかし、異邦人は献げたのです。

 ルカは、当時出ていたローマ皇帝アウグストゥスの人口調査の勅令に従って、生まれ故郷に登録に出かける必要も認められなかった程社会的底辺にいた羊飼いたちに、救い主誕生のニュースが御使いによっていち早く告げられ、その低い存在だった羊飼いたちが最初に救い主に礼拝を献げたとして降誕の出来事を記しています。

 ヨハネはというと、キリストを永遠の初めからおられた方として、マリアの胎を通して生まれる以前のキリストを「言(ことば)」と表現し、誕生をその「言」が人となられたというかたちでキリスト降誕をつげています。

 ところで、あなたはこの出来事をどのように受け留め表現されますか?