今週のメッセージ201/04/23)

見ないのに信じる人は幸い

 

「イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』」(ヨハネによる福音書20:29)

『ヨハネ福音書』には、イエス・キリストが復活された「週の初めの日」(日曜日)から一週間後の、再び巡ってきた「週の初めの日」の出来事が記されています。

復活の主がお姿を顕された時、12弟子の一人であったトマスはそこにいませんでした。復活の主に会った仲間たちの話しを聞いた時、トマスは言いました、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(同25節)と。

ところが、それから1週間後、今度はトマスも居合わせた弟子たちのところに、再び復活の主は姿を顕されたのです。そしてトマスに言ったのです。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」27節)。その結果、トマスは、「わたしの主、わたしの神よ」28節)とイエス・キリストを「主」また「神」と信仰告白したのです。

冒頭の聖句は、そのトマスに向かって復活の主がいわれた言葉です。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と。

この福音書の記者として用いられたヨハネは、1世紀の終わり頃これを書いたといわれています。つまり、十字架と復活の主の目撃者たちがこの世を去りつつあり、次の世代に変わりつつあった頃です。故に、冒頭の主の言葉は実に意味深く響きます。「見ないのに信じる人は幸い」なのです!