今週のメッセージ201/04/30)

信仰は聞くことによる

「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」(ローマ10:17)

 

先週はイースター(復活祭)からちょうど1週間後でしたので、聖書の中のキリストの復活からちょうど1週間後の出来事が記されている個所に基いて記しました。その折、冒頭に掲げた聖句は、復活のイエスが12弟子の一人トマスに向かって言われた言葉、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20:29)でした。

「見ないのに信じる」とは聞いて信じることに他なりません。本日、冒頭に掲げている聖句は、まさにそのことを語っているものです。

『ヨハネ福音書』の20章の終わりは、著者として用いられたヨハネ自身の著作目的が記されて締めくくられたように見えるのですが、21章が続いて記されます。場面はティベリアス湖(ガリラヤ湖)で、ペトロ等七人が漁に出るのです。夜通し漁をしたのですが一匹の獲物も捕れず、明け方、岸に向かって戻りつつありました。すると岸辺から一人の人(実は復活のイエスだったのですが、ペトロたちは最初気づきませんでした)が声をかけるのです、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」(21:6)。そこで言われた通りにすると、なんと網を引き上げられないほどの魚が捕れたのです。そこで彼らは岸辺の人が復活のイエスだと悟ったのです。

この記事は、20章の終わりにある、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(29節)と考え合わせると、実に意味深く響きます。まさに聞くことが大切なのです!