今週のメッセージ201/05/21)

神の名を呼ぶ

 

生まれると必ず名前が付けられ、役所に届けられます。以後、名前はその人を他の人から区別する掛け替えのないものとして機能するのです。試験の時も受験者が“名無しの権兵衛”にならぬよう、試験官は必ず最初に名前を書くようにと指示します。絶海の孤島で生きるならばともかく、社会生活を営む上では無くてならぬものです。

従って、名を呼ぶということはとても大切なことです。関係を築こうとする時、先ず「お名前は?」と名を尋ねたり、「わたしは○○です」と名乗ったりします。故に名乗らない、名を覚えようとしない場合は、関係は築かれていかないのです。

ところで、実は神さまもあなたとの関係を築くためにご自身の名を知り、かつ呼ばれることを願っておられるのです。

では、神はどういう名前をお持ちなのでしょう。「主」というのがそのお名前です。旧約聖書中に「ヤーウェ」という神の名が紹介されています。この聖なる神の名を直接口にするのは畏れ多いということで「アドーナイ」という言葉に置き換えて読まれました。このヘブル語聖書が後に当時の世界で広く共通語として用いられていたギリシャ語に訳されたのが「七十人訳」と呼ばれる聖書で、そこにおいて「アドーナイ」はギリシャ語の「キュウリオス」と訳されています。そして日本語訳聖書はこれを「主」と訳したのです。

新約聖書の中の『ローマの信徒への手紙』という書の10:13に以下のようなことばがあります。

「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」

主の名を呼ぶことは、実にこの上なく大切なことなのです!