今週のメッセージ201/06/11)

主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値

「わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。」

(新約聖書・ピリピ人への手紙3:8、協会訳)

冒頭の聖句は、ピリピ人への手紙の著者として用いられた使徒パウロのことばです。

個人的な証しになりますが、筆者がキリスト教に入信したのは、高校を卒業して上京し、1年間浪人生活を送ったときのことでした。

その結果、一般の大学でなくキリスト教主義の大学に入学し学びました。またクラブ活動もキリスト教青年会(SCA)に所属して活動しました。

卒業後、高校の英語教師として勤務しましたが、福音の伝え易さを考え、キリスト教主義の学校に移りました。そこは立派な礼拝堂もあり、毎週聖書の時間もカリキュラムの中に組み込まれていましたが、聖書の時間が、他の教科と並列的な位置づけであることに物足りなさを覚え、結局退職し、福音宣教のために献身を決意し、所属教団立の聖書学校に入学しました。

所定の学びと訓練を受け、卒業して伝道者・牧師としての歩みが始まり、今日に至ったという次第です。

大学入学、卒業して高校教師としての働き、福音伝道を考え、勤務する学校の変更、そして献身と、その折々、考え、決断し、行動の歩みを進めてきたわけですが、振り返ると結局、その根底には、キリストを知ること、また、知らせることに至高の価値を見出しての歩みであったことを覚えます。一回限りの人生において、まさにキリストを知る知識、またそれを伝えることに至高の価値を見出して歩んで来られた恵みを感謝する次第です。