今週のメッセージ201/07/23)

聖 書

 

「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(ヨハネによる福音書20:31)

「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(Uテモテ3:16)

前回は「『ヨブ記』の中心テーマ」と題して記しましたので1週間間が空いてしましましたが、前々回(7/9)、「祈り」を主題に記したのに続いて今回は「聖書」をテーマに書いてみましょう。「祈り」と「聖書」は車の両輪のようなものだからです。どちらを欠いても車は走れません。

困ったときの神頼み”式に、ただ一方的に頼み事の祈りっ放しではいけません。聖書を開いて神に聴く姿勢も不可欠です。また読みっ放しで応答しないのも申しわけのないことです。聖書において語りかけられる神に祈りを通して真摯に応答することも欠いてはなりません。

冒頭に二つの聖句を挙げておきました。前者は新約聖書中の『ヨハネによる福音書』において著者として用いられたヨハネが著述の目的を述べたものです。直接的にはヨハネ福音書のものですが、それだけに限らず聖書全体に共通するものです。即ち聖書は、読者が、イエスが神の子メシア(キリスト、救い主)と信じるようにと書かれているものです。

後者の聖句も同じく新約聖書中のもので『テモテへの手紙二』に記されています。そして、聖書の真の著者は神であられ、そのためにテモテが用いられ、神の記者に対する「霊の導きの下に」書かれたことを明らかにしています。以上の聖書が書かれた目的と、それを記した真の著者が神であることの二点は、聖書を正しく知る上で欠くべからざる事柄です。