今週のメッセージ201/09/24)

安息日から主日へ

「安息日を心に留め、これを聖別せよ。」(旧約聖書・出エジプト記208

先々週(9/10),「十戒(その1)」と題して記しました。上記のことばは、その十戒の第4番目の戒めです。

この安息日の由来は、創造主なる神が、天地万物を完成され、第7の日に安息されたことにあります(旧約聖書・創世記213参照)。これが週の7日目の土曜日と重なり、土曜日が安息日となったというわけです。

新約時代に入り、主イエス・キリストがこの世に降誕されました。主イエスは、救い主として、われらの罪と滅びの死を身代わりとなって背負い、十字架に死なれました。御体は取り降ろされ、墓に葬られました。

しかし、三日目の朝、復活されたのです。そのことを伝えるマタイ福音書28章の書き出しは、「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、・・・」とあり、キリストの復活が「週の初めの日」に起こったことがわかります。

さらに使徒言行録207では、「週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、・・・」とあり、「週の初めの日」に聖餐式を伴う礼拝が献げられていたことが示唆されています。また、Tコリント167には、「・・・週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい」と、「週の初めの日」の礼拝献金に関する言及と思われる記述があります。

かくして新約時代に入ると、キリストの「週の初めの日」の復活により、聖なる日は、旧約時代の「安息日」(土曜日)から「週の初めの日」、即ち、日曜日(主日)へと移行するに至ったというわけです。