今週のメッセージ201/10/15)

礼拝と献げもの

 

救い主イエス・キリストの来臨を境に、旧約時代と新約時代に分かれます。同じく聖書も旧約聖書と新約聖書に分かれます。

旧約時代の礼拝には動物犠牲の献げ物が付きものでした。旧約のレビ記という書を開きますと1〜7章において6種類の献げものが記されています。それらは、焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、贖罪の献げ物、賠償の献げ物、任職の献げ物、和解の献げ物と呼ばれるものです(737参照)。

そのように旧約時代の礼拝では動物が犠牲として献げられました。しかし、新約時代の礼拝では、そうした動物を犠牲として献げることは全く影を潜めることとなりました。現代のキリスト教会では、動物犠牲の献げものを以って礼拝が行われることは一切ありません。

これは大変化です。何故にそのような大きな変化が生じたのでしょうか。それがイエス・キリストの来臨と関係しているのです。さらに言えば、イエス・キリストの十字架の死と密接不可分に関わっているのです。新約聖書のヘブライ人への手紙912には次のように記されています。

「雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」

即ち、イエス・キリストの十字架の死が、完全かつ永遠の犠牲の献げものとなって下さったのです。故に、新約時代の礼拝は、それらは必要ないのです。代わって礼拝者は自分自身を神への献げものとするのです。献げられる献金はその証しなのです。

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」(ローマ12:1)