今週のメッセージ201/11/12)

人間存在について

 

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」

(旧約聖書・創世記2:7)

「あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。」

(新約聖書・Tテサロニケ5:23b)

冒頭の聖句は、創造主なる神が人間を創造された時のことを語るものです。人間存在が、「土の塵」性と、神によって吹き入れられた「命の息」、即ち霊性の二つを持つ存在であることが示されています。

次の聖句は、人間存在が霊・魂・体の三つを有することが示されています。

人間存在が、前者では二つ、後者では三つのかたちで示されているわけですが、前者と後者はどのように調和されるのでしょうか。

前者において示されているようには、人間存在が天に属する「霊」と地に属する「体」の二つを持っています。そして、後者において示されている霊・魂・体の3つは、は言うまでもなく前者における「霊」性に、そして後者の魂と体は「土の塵」性に属するものなのです。何故なら、「魂」(プシュケー、ギリシャ語)は「心」とも訳すことができます。つまり、人間存在は、霊性という天に属する性質と、「魂(心)」と「体」という地に属する性質を併せ持つ存在なのです。そして「霊」性の故に人間は神と交わることが出来るのです。しかし、人間の罪性の故に神との交わりが阻害されていることに気づいて糺す必要があるのです。