今週のメッセージ201/01/14)

祈りに関する主イエスの教え

 

信仰を持たない世間一般の人々にあっては、祈りは、“空間に向かって呟く独言”のように考える向きも少なからずおられるのではないかと思います。しかし、主イエス・キリストは祈りの生活を大切にされ(新約聖書・マタイ1423等)、弟子たちにも祈るように勧められました(同658等)。

そこで、このコラムでは、祈りに関する主イエスの教えの中で、矛盾のように誤解されかねない二つのことを取り上げて記したいと思います。

ひとつは、「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」(マタイ6:6)と、「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ1819,20です。

これは、人々に自分の敬虔深さを誇示するような偽善的祈りに対する戒めで、複数人で心合わせて祈ることは、むしろ奨励されています。

もう一つは、「また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。」(マタイ67と、「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された」(ルカ181です。

これも、真実な心のこもった祈りではなく、言葉数が多ければ効果があるとの誤解を戒めるもので、忍耐強く祈ることは推奨されています。