今週のメッセージ201/0/03)

キリストの使者

「つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」(新約聖書・Uコリント519,20

タイトル『キリストの使者』と聞くと、何か特別な存在の使者を連想されるかも知れません。しかし、そうではありません。冒頭の聖句は、神がキリストの救いの福音を伝えるのに用いられるのは、普通の人間を用いられるのです。但し、用いられるその人に求められる条件として、キリストの救いに与っていることが不可欠です。それはごく当然のことです。救いの実体験なしにそれを証しすることは出来ません。

即ち、キリストの救いの福音の伝達は、“人から人へ”の手立てが用いられるということです。

筆者自身は、高校時代の同級生のお兄さんという存在を通してキリストの福音に与りました。そのお兄さんは教会の牧師をされていました。その友達は東京で下宿住まいをしていたのですが、食事はそのお兄さんのところでしていたのです。故に、土曜日に泊りがけで遊びに行くと、日曜日の朝食は、必然的に教会の牧師のお宅で、となったわけです。食事をすませると礼拝出席を勧められたわけです。食事をいただいた手前、断ることも出来ず勧められるままに、というのが最初の礼拝出席でした。そしてそれが1ヶ月余りして入信に至ることとなった次第でした。食事の提供者はキリストの使者でもあったわけです。これも“人から人へ”のひとつのかたちといえます。そして、そこには見えない神の御働きがあるのです!