今週のメッセージ201/0/10)

救いは神の賜物

 

「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。」(新約聖書・エフェソの信徒への手紙2:8,9)

 

わが国の他宗教には、救いは難行苦行によって獲得されると教えるものが多くあります。しかしキリスト教は、「恵みにより、信仰によって」と教えています。それは「神の賜物」であり、従って「だれも誇ることがない」ためと記されています。

イエス・キリストの十字架の死はこのことと密接不可分な関係を持っています。その死はともすると一般的に考えられてしまう“殉教死”といったものではなく、それはキリスト教の表現でいうと“贖罪死”なのです。即ちキリストが、わたしたちの永遠の滅びの根因であるわたしたちの罪をすべて身代わりに負われ、あの十字架で死なれたのです。遺体は墓の中に葬られました。しかし、予てから予告されていたように、三日目に復活され、負われたわたしたちの罪と、それがもたらす永遠の滅びの死に対する勝利を天下に明らかにされたのです。そしてそのキリストを、ただ救い主として信じる信仰による永遠の命の救いを確立して下さったのです!

「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。・・・イエスを信じる者を義となさるためです。」(新約聖書・ローマの信徒への手紙3:23〜25a,26b)