今週のメッセージ201/0/17

「父の日」に因んで

 

「父」と聞くと多くの方々はご自分の「父」を思い浮かべられると思います。キリスト教会では、“父なる神”を連想される方も多いことでしょう。しかしこのコラムでは、もう約1ヶ月前になりますが、『聖霊降臨日』の主題で記しました折、“三位一体”について言及いたしました。その際に、“父なる神”にも触れましたので、ここでは敢えて触れません。

話しを元に戻すと、聖書の中に通称“信仰の父”と呼ばれる人物が登場します。“アブラハム”という名の人物です。聖書のいちばん最初の創世記という書に出て来ます。紀元前2千年頃の人です。このアブラハムの子孫がイスラエル民族です。ある時彼は、神から子孫を星の数のごとく多くするとの約束を与えられました(同書155参照)。しかし、彼とその妻サラとの間になかなか子どもが生まれませんでした。しかし、やがて待望の子ども(男の子)が生まれ、イサクと名づけられました。

ある時神は、アブラハムに、なんとその独り子イサクを焼き尽くす献げ物として祭壇にささげよと命じられたのです。もし独り子イサクを祭壇にささげるならば、そこで子孫は途絶え、“星の数の如く”という約束は実現不可能になること必定です。しかし、神の命令は絶対です。アブラハムは神の命令に従ってイサクを縛って祭壇の上に寝かせ、屠るべく振り上げた刃物をイサクの上に振り下ろそうとした時、神はそれを止められます。そして傍の木の茂みに角を捕られて動けなくなっていた1匹の羊をイサクに代えて屠るよう指示されたのです。

新約聖書の中に、その時アブラハムは、“神が死者の中からイサクを甦らせて下さると信じた”と記されています(ヘブライ11:19)。この出来事がアブラハムをして“信仰の父”と呼ばれることとなった所以なのです。