今週のメッセージ201/0/22)

無くてならぬもの

 

「主は答えて言われた、『マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである』」。(新約聖書・ルカによる福音書10:41,42、口語訳)

「無くてならぬものは一つだけ」といわれると、そんなはずはない。食べ物、着るもの、住む家等々、人間が生きていく上で、「無くてならぬもの」は沢山あるといわれるでしょう。

しかし、この場合は、そうしたいわゆる生活必需品的レベルのことを言っているではありません。生きる上で、意味を求め、目的を追求する人間にとって「無くてならぬもの」なのです。

冒頭の文章は、イエス・キリストをお客として迎えた姉妹マルタとマリヤが、それぞれの仕方でイエスに対した時の様子を伝えています。

姉のマルタは、もてなしのために忙しく立ち働きました。他方、妹のマリヤは、主の足元に座って、イエスの語られる言葉に耳を傾けていたのです。そのうち、姉のマルタは、自分ひとりが忙しくしていて妹のマリヤは手伝おうともしないと考え、感情を爆発させ、イエスに文句を言ったのです。それに対する主イエスの返答が冒頭の聖句の中心です。

主イエスの言葉は神の言葉です。それは神しか語ることの出来ないこと、即ち、わたしたちの存在と生の意味づけ、善悪の判断の基準、そして永遠の命の救いを語る言葉です。故に、『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』(新約聖書・マタイ4:4)といわれるのです。従ってマリヤから取り去ってはならないものなのです!