今週のメッセージ(2018/08/05)

キリストの救いとは

 

「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。」(新約聖書・エフェソ1:10)

キリスト教会において、教派や教団の違いを超えて共有している信仰告白――使徒信条――には、「キリストの救い」が次のように告白されています。

・・・罪の赦し、からだのよみがえり、永遠(とこしえ)のいのちを信ず”

わたしたちの滅びの根因は“罪”です。キリストは、わたしたちのすべての罪を身代わりに負って十字架に架かって下さいました。その御蔭で信じる者に“罪の赦し”が与えられたのです。新約聖書中の『ローマの信徒への手紙』の中に、「罪が支払う報酬は死」(6:23a)とありますが、信じる者に“罪の赦し”を与えるキリストの救いは、必然的に「罪が支払う報酬」としての「死」からの解放として、「からだのよみがえり」という恵みを併せて与えて下さいました。それは、信じた瞬間から与えられる“永遠のいのち”の証しに他なりません。故に、聖書は「罪が支払う報酬は死」につづいて、「しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」(同23b)と宣言しているのです。

以上はキリストの救いを個人の視点で見たものですが、それと共に宇宙的な拡がりの視点でも捉える必要があります。それを告げている御言葉が冒頭の聖句です。即ち、「あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです」。この時がわたしたちの救いの完成の時です。個々人の救いは、全体の救いの完成においてはじめて完成を見るからです。