今週のメッセージ201/0/26)

永遠に赦されざる罪

 

「しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」

(新約聖書・マルコによる福音書3:29)

新約聖書の後ろの方にある『ヨハネの手紙 一』の中に下記のような言葉があります。

「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」(新約聖書・Tヨハネの手紙1:7b)

 ならば、表題の『永遠に赦されざる罪』と矛盾するではないかと思われる方もおありでしょう。上に提示された言葉だけ見れば、そう思われるのは無理もありません。

以下に少し説明しましょう。

二番目に挙げた聖句は、「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」と宣言しています。確かにその通りなのです。

しかし、この聖句がその人の中に実現を見るためには、その人がこの言葉を信じることが必須の条件となります。「信じるなら、あなたは救われる」からです(新約聖書・ローマの信徒への手紙10:9)。そして、その信仰を可能にしてくれるのが聖霊なる神なのです。同じく新約聖書の『コリントの信徒への手紙 一』の12:3に、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」とあるのです。

わたしたちは、とかく自分の知力・能力で信じると思いがちですが、そうではありません。聖霊によらなければ、「イエスは主である」と知り、信じることは出来ないのです。従って、その聖霊を冒瀆することは、イエスを知り、信じることの可能性を無くすることであり、故に赦され、救われる道を永遠に絶ってしまうことに他ならないのです。