今週のメッセージ(2018/08/26) 永遠に赦されざる罪
「しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」 (新約聖書・マルコによる福音書3:29) 新約聖書の後ろの方にある『ヨハネの手紙 一』の中に下記のような言葉があります。 「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」(新約聖書・Tヨハネの手紙1:7b) ならば、表題の『永遠に赦されざる罪』と矛盾するではないかと思われる方もおありでしょう。上に提示された言葉だけ見れば、そう思われるのは無理もありません。 以下に少し説明しましょう。 二番目に挙げた聖句は、「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」と宣言しています。確かにその通りなのです。 しかし、この聖句がその人の中に実現を見るためには、その人がこの言葉を信じることが必須の条件となります。「信じるなら、あなたは救われる」からです(新約聖書・ローマの信徒への手紙10:9)。そして、その信仰を可能にしてくれるのが聖霊なる神なのです。同じく新約聖書の『コリントの信徒への手紙 一』の12:3に、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」とあるのです。 わたしたちは、とかく自分の知力・能力で信じると思いがちですが、そうではありません。聖霊によらなければ、「イエスは主である」と知り、信じることは出来ないのです。従って、その聖霊を冒瀆することは、イエスを知り、信じることの可能性を無くすることであり、故に赦され、救われる道を永遠に絶ってしまうことに他ならないのです。
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