今週のメッセージ201/0/07)

「たとえ」で語られる主イエス

 

先々週(9/23)は「聞く耳のある者は聞きなさい」の主題で、主イエスが、よく「たとえ」を用いて語られたことを記しました。その折、『種蒔く人』のたとえをご紹介しました。新約聖書中の『マルコのよる福音書』には、それにつづいて『ともし火』『秤』といったたとえが記されています。

今週は、その後に記されている『成長する種』そして『からし種』のたとえについて記してみましょう。

キリスト教会が共有している祈りに『主の祈り』があります。“天にましますわれらの父よ”の呼びかけに始まり、“御名を崇めさせたまえ。御国を来たらせたまえ。・・・”とつづくのですが、『御国』とは『神の国』を指しています。『マルコによる福音書』には、先に記した『ともし火』『秤』に続いて『神の国』のたとえが語られています。

その『神の国』がまず『成長する種』にたとえられています(マルコ4:26〜29)。人間は種を蒔き、その成長を願って肥料をやったり、雑草を取ったりしますが、種が成長するのは、種そのものが持っている成長力です。『神の国』はそのようだと主イエスはいわれるのです。

もうひとつは『からし種』のたとえです(同30〜32節)。当時ユダヤにおいて『からし種』は最も小さいものの象徴でした。その最も小さい『からし種』が蒔かれると成長して行き、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほどに大きくなる。『神の国』はそのようだというのです。

およそ2千年前、ユダヤにおいて主イエスと12人の弟子で始まったキリスト教ですが、今や世界中にキリスト教会は存在しています。そしてやがて大きい完成をもたらすことを主イエスは『からし種』に例えておられるのです。あなたもこの『神の国』に所属されんことを祈ります。