今週のメッセージ201/0/21)

主イエスの他言への口止めの理由

 

「イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。」(新約聖書・マルコ福音書7:36)

新約聖書は27の書から構成されていますが、その第2番目に置かれているのが『マルコによる福音書』と呼ばれるものです。その中に、主イエスが他言することを口止めされる場面が6箇所ほど出てきます。冒頭の聖句はその一つです。それは主イエスが、耳も聞こえず舌の回らない人を癒されたとき、癒された者に言われた口止めの言葉です。

では、何故口止めされたのでしょう。その理由は偏に誤解を避けるためでした。イエスがキリスト(救い主)であられるということを、恰も病気を癒す人と看做したり、果ては当時ユダヤはローマ帝国の属国扱いをされていたので、そこから解放し、独立を勝ち取ってくれる政治的・軍事的解放者を期待する面が多大にあったのです。後に十字架に磔にされるのですが、十字架刑は極悪人のしかも外国人に対する処刑方法で、救い主という存在にはあり得ないこと考えられていたのです。

しかし、イエスは十字架に磔にされたのです。だがその死は、いわゆる「刑死」ではなく「贖罪死」でした。わたしたちのすべての罪と、それの支払わなければならない死からわたしたちを贖うための身代わりの死、即ち贖罪死だったのです。しかし、イエスは三日目に甦られ、わたしたちを罪と死から贖う救い主であられることを天下に明らかにされたのです!

「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」(新約聖書・Uコリント5:21)