今週のメッセージ201/11/04)

神の救い

 

「イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。『この方の服にでも触れればいやしていただける』と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。」(新約聖書・マルコによる福音書5:27〜29)

 

上の記事は、12年もの長きに亘り、婦人科的出血で苦しんでいた婦人のいやしの出来事を記しています。旧約聖書のレビ記17:11に、「生き物の命は血の中にあるからである」と記されています。この婦人は、言わば12年もの間、生命的危機と背中合わせで生きていたわけです。

当時、イスラエルにあっては、こうした病を負う者は不浄な者と看做され、従って彼女は、病そのものの苦しみを負うだけに止まらず、宗教的・社会的にも除け者にされ、経済生活もままならず、悲惨のどん底にいました。そのような状況の中で、「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思い、冒頭の引用記事にあるようにイエスに触れたのです。すると、たちどころに出血が止まり癒されたのです。

一方、触れられた主イエスは、「だれがわたしに触れたのか」(同31節)と言われ、触れた者を探されたのです。神の御子ですから、誰に触られたかはご存知だったのですが、敢えて大衆の面前で明らかにされようとしたのです。イエスの行為は、一見、その女性に対して配慮に欠けるように見えますが、そうではなく、むしろ配慮に満ちていたのです。いやしが大衆の面前で明らかにされることにより、この女性は、宗教的・社会的生活も正常に回復され、それにより経済生活も回復されたのです。主イエスの救いは、このように肉体的次元に止まらず、丸ごとの救いなのです。