今週のメッセージ201/11/18)

「すべては空しい?」

 

旧約聖書の中に『コヘレトの言葉』という書があります。この書の書き出しは、“えっ、これが聖書のことば?”と思わず口に出てしまうようなことばで始まっています。その書き出しは以下のようなものです。。

 「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。コヘレトは言う。なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい。」(1:1,2

「コヘレト」とは「伝道者」の意味です。彼は、知恵や知識、快楽、事業の中に意味や生甲斐を追求していきます。しかし、その結果得た結論は次のようなものでした。

 *「賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか。」(2:16

 *「この空しい人生の日々に/わたしはすべてを見極めた。善人がその善のゆえに滅びることもあり/悪人がその悪のゆえに長らえることもある。」(7:15

 *「この地上には空しいことが起こる。善人でありながら/悪人の業の報いを受ける者があり/悪人でありながら/善人の業の報いを受ける者がある。これまた空しいと、わたしは言う。」(8:14

 *「太陽の下、再びわたしは見た。足の速い者が競争に、強い者が戦いに/必ずしも勝つとは言えない。」(9:11a)

 *「既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから。」(4:2,3

そこで、この書が最終的に出した結論が以下のものなのです。

「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて。」(12:13

「これこそ、人間のすべて」は、別訳では、「これはすべての人の本分」「これが人が創造された目的のすべてなのである」、となっています。