今週のメッセージ201/01/13)

プロクルーステースの寝台

 

「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」

(新約聖書・ヨハネによる福音書3:36)

ギリシャ神話の中にプロクルーステース(引き延ばす男)と綽名された人物が出てきます。彼は旅人を自分の家に泊めてやるのはいいのですが、大小二つの寝台を持っていて、背の高い人には小さい寝台を、低い人には大きな寝台を提供し、大き過ぎる分は鋸で挽き切り、小さ過ぎる場合は引っ張り、引き裂いて殺していました。このことから、ある基準に無理矢理に従わせようとすることを「プロクルーステースのような」という英単語が生まれたといわれています。つまり、自分の持っている価値基準を絶対化して、相手に強制することに対する教訓となったのです。

ところでキリスト教はプロクレ−ステース的でしょうか。いいえ、決してそうではありません。信じる、信じない、従う、従わないは、すべてその人の選択に委ねられているのです。

神の存在をはじめ、信仰のことがらはすべて、信じるか、信じないかは、その人自身の選択に任されています。信仰のことがらは、数学の定理を証明するように証明することはできません。そもそも神の存在等、神に関することがらについて人間は証明して万人に承認させることはできないのです。神を、人間の知力等、人間の能力の支配下に置くとことはできないのです。神は人間を超えた存在だからです。しかし、証しすることはできます。例えばキリストの死からの復活です。だからこそキリスト教会が誕生したのです!また、日曜日の礼拝も然りです。キリストが週の初めの日、即ち日曜日の朝、復活されてからこそ日曜日の礼拝も始まったのです!