今週のメッセージ201/08/25)

罪赦されることの幸い

 

「神よ、わたしを憐れんでください/御慈しみをもって。深い御憐れみをもって/背きの罪をぬぐってください。わたしの咎をことごとく洗い/罪から清めてください。あなたに背いたことをわたしは知っています。」(旧約聖書・詩編51:3、4)

この詩編51の背景には、イスラエルのダビデ王が、忠義な部下であったウリヤという人物の妻バト・シェバと不倫の罪を犯し、しかもバトシェバが身ごもってしまったのです。すると、こともあろうにダビデ王は、その罪を覆い隠すべく、ウリヤを戦場の最も激しいところに送り、戦死を図るのです。それがまんまと成功。ダビデ王はこれで罪は覆い隠せたと思ったのです。しかし、神の目を誤魔化すことは出来ません。その罪が暴かれてしまったのです。

冒頭の聖句は、ダビデが自分の犯した過ちを悔い、神に赦しを乞うているものです。やがて神の憐れみにより、ダビデは赦しをいただくのです。その折、ダビデが謡ったのが以下の詩編32です。赦しの幸いが詠われています。そしてキリストの十字架の死は、われらの罪の赦しの為なのです。

「いかに幸いなことでしょう/背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう/主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。わたしは黙し続けて/絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜もわたしの上に重く/わたしの力は/夏の日照りにあって衰え果てました。わたしは罪をあなたに示し/咎を隠しませんでした。わたしは言いました/『主にわたしの背きを告白しよう』と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。」(旧約聖書・詩編32:1b〜5)