今週のメッセージ201/09/01)

神の御業のくすしさ

 

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」

(旧約聖書・伝道の書3:11a、協会訳)

筆者の弟は今年で71歳になる。

三歳の時に腸の病を患い、それを拗らせた為脳に波及し、聴力を失ってしまった。ことばを習得する年齢だったが、病の為十分習得できず、聴覚言語障害者となってしまったのである。

筆者は20歳の時にキリスト教信仰を持つようになり、その恵みの中に癒しがあることを知った。そこで、弟の障害の癒しのために祈ることを思いつき、ある年、クリスマスから正月の三日までの10日間断食をし、その後、弟に手を置いて癒しのために祈った。しかし癒しは実現しなかった。

その後、筆者は献身し、年月を経て牧師となり、三番目の教会で伝道牧会をしていた時、高齢となった母と弟が来会するようになった。そして来会したその年に入信しクリスチャンとなったのである。

そこに至った時、筆者は考えた。もし、弟の癒しを願って祈った時、癒されていたら、恐らく母も弟も教会を訪れることもなく、従ってクリスチャンにはならなかったのではないか。

障害者の弟は独り立ちが出来ず、母は弟と二人暮らしの生活であった。しかし、高齢となり、二人暮らしも危うくなって筆者の教会の近くに引越し、やがて教会にも足を運ぶようになった。そして、その年に入信、クリスチャンとなったわけである。

弟の障害が、高齢となった母と弟を教会へと導き、信じて救いを得る切っ掛けとなったと言えよう。まさに神の御業のくすしさである。神のなされることは皆その時にかなって美しい!