今週のメッセージ201/09/08)

能動態でも受動態でもない中動態

 

日本語にも英語にもないのですが“中動態”という「態」が、新約聖書の原語として用いられている(古代)ギリシャ語に出て来ます。英語でいうならば、能動態と受動態の中間に位置する「態」です。

具体的に例を挙げてみましょう。

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(新約聖書・ローマ12:1,2)

上記の例文は、新約聖書中の『ローマの信徒への手紙』という、27の書から成る新約聖書の第6番目の書です。その中の12章1,2節に出て来ます。即ち、上記中の「倣ってはなりません」の“倣う”、そして「心を新たにして自分を変えていただき」の“変える”という二つの動詞にこの中道態が用いられているのです。

「救い」というものは、律法を守り行うことによってではなく、救い主イエス・キリストを信じる信仰に拠るのだと説いた後、その救いに与った者の具体的な生活のあり方としての教えを語っているものです。

能動は自力、受動は他力ですが、中道自力と他力が結合したものです。「この世に倣ってはなりません」、また、「心を新たにして自分を変えていただ」く、は、先ずそうしようと自分の心に定める(自力)、そして同時に神の御助け(他力)を祈り求めて行く、この二つが相俟ってこれを実現していくことをこの中道態は示しているのです。