今週のメッセージ201/11/24)

キリストの系図と四人の女性

 

先週はイエス・キリストの系図のタイトル――「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」(新約聖書・マタイ1:1)――を取り上げました。表題に記しましたように、このキリストの系図には四人の女性が入っています。当時の男性中心のユダヤの系図に女性が名を連ねていることは、他に例がないわけではありませんが、珍しいことでした。

ところで、その四人とは、先ずタマル3節)、次いでラハブルツ(以上は5節)、そしてウリヤの妻6節)です。そしてこの四人は、実はそれぞれ問題のある女性たちでした。

タマルは舅と姦淫を犯した女性でした(創世記38:18参照)。ラハブはエリコという町の遊女でした(ヨシュア2:1)。ルツはユダヤ人でなく異邦人であるモアブ人でした(ルツ記1:4参照)。当時、ユダヤ人は異邦人と関わりをもつことを避けていました。そしてウリヤの妻(バト・シェバ)はダビデ王がウリヤから奪った女性でした(Uサム11:27)。

このような汚点を持つ、しかも女性たちが、聖なるキリストの系図の中に名を連ねているかということは考えられない、通常ならば避けるのが普通でしょう。しかし、敢えてこれらの問題を持つ四人の名が含まれていたわけです。

そこには幾つかの考え方があるようです。例えば、罪に対する神の恵みの優位性を示す為、ユダヤ人の高慢を挫く為、そして乙女マリアによるキリストの誕生がマリアの不貞によるとする中傷誹謗を退ける為、だというのです(新聖書注解T、p.75参照)。

しかし、聖書が不都合なことを隠さず、ありのまま記していることは、聖書自体の真実さを証していると言わねばならないでしょう