今週のメッセージ2020/03/22)

主イエスのゲッセマネでの祈り

キリストの“最後の晩餐”から十字架の死までの受難物語や、それに取材した音楽や絵画を“The Passion”というそうです。そしてそのPassionのピークにゲッセマネの園での主イエスの祈りがあるといわれます。

その祈りとは、「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(新約聖書・マルコによる福音書14:36)です。

「この杯」とは、十字架の贖罪死のことです。何の罪もない、全くきよい神の御子が、わたしたちの救いの為に、わたしたちのすべての罪を身代わりとなって負い、神の刑罰を受けて死ぬ、これがわたしたちの救いの為に主イエスが担おうとされた贖罪死です。その時がやってきた時、主イエスは、上記のような祈りをささげたのです。しかも三度にわたって・・・。

さすがの主イエスも、「この杯をわたしから取りのけてください」と祈ったのです。わたしたちの願いや求めを率直に祈り求めることを神は禁じたりなさいません。しかし問題は、わたしたちは、ともするとその願いや求めをゴリ押しする祈りに終始しがちです。主イエスも、出来ることなら、その十字架の贖罪死を死ななくても済むことを願われたのです。しかし祈りがわたしたちのそれと異なるのは、どこまでも自分の求めをゴリ押ししないで、「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られたことです。願いはそれとして訴えながら、しかし最終的には、「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られたのです。主の御心に添う祈りそこにあるのです!