今週のメッセージ(2020/06/28)
「プラマイ・ゼロそれでも主へ」マルコ9:14−29
1人の子どもが悪霊にとりつかれて苦しんでいました。父の証言によれば、幼いころから度々苦しめられ、何度も命の危険にさらされていたのです。並行箇所のルカ9:37以降を読むと、この子は「ひとり息子」でした。そんな幼いわが子が悪霊によって苦しめられている姿を見るのは、父親にとってどれほど辛いことでしょうか。そんな父のもとに素晴らしい知らせが飛び込んできました。イエスというお方が病人を癒し、悪霊を追い出していると聞いたのです。父親は居ても立ってもいられず
息子を連れてイエス様を訪ねてやって来ました。
ところがどうでしょう。イエス様がいらっしゃらない。
どうやら高い山に登っていらっしゃるらしい。それならばと
弟子たちに助けてくれるよう頼んでみたけれどもうまく行かない。そうこうしているうちに律法学者たちがやって来て、
イエス様の弟子たちと議論になり、大勢の人々が集まるようになっていました。そのとき、イエス様が戻ってこられたのです。
主は「何を議論しているのか?」とお尋ねになりました。
父親は事情を説明し、主に助けを求めました。
19【信仰のない時代なのか】信仰は時代によって増減するのでしょうか?
ここでイエス様が言わんとしておられるのは 「あなたがたはどうして信仰がないのか?」ということです。
そして主は言われました。「その子を連れてきなさい!」
主の姿を見て悪霊は暴れ回りました。すると主は父に「このようになったのは、いつごろからか?」と尋ねました。
人々は議論をするけれども、主は聴いてくださるお方なのです。
あなたの悩みや問題について議論するのではなく、主はあなたが何に苦しみ、何を求めているのかを尋ね、聴いてくださる
お方なのです。
信仰とはイエス・キリストのもとへ行くことです。
父親が主のみ言葉を聞いて信じますと宣言し、さらに正直に「信仰のない私をお助け下さい」と告白して助けを求めた時に
主は御業を現してくださいました。
私たちが半信半疑と言いましょうか。プラマイゼロの信仰で
あっても信仰の創始者であり完成者であるイエス様のもとに行くならば、主があなたを救い、御業を現してくださるのです。
イエス様は言われました。「できればと言うか。信じる者にはなんでもできる。」だから私たちも信じて祈りましょう!
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