今週のメッセージ2020/07/12)

「祈りの要点」ルカ18:1−14


 主は気を落とさず、失望せずに祈り続けることを求めておられます。主はそのことを例え話を用いて教えてくださいました。
 前半は、やもめと裁判官の話。後半は、自分は正しいとうぬぼれている人の話です。

 裁判官は神を恐れず、人を人とも思わない、とんでもない 人物でした。ところが、そんな裁判官のところに、一人のやもめが「私を守ってください」と頼みに来たのです。裁判官はしばらくの間、取り合おうとはしませんでしたが、毎日の ように頼み込んで来ました。裁判官もこれではたまりません。
 ついに彼女のために法廷を開くことにしたのです。 ここで主が言わんとしておられることは、こんな裁判官でも、自分のことは大切にする。ならば、神様が私たちの苦しみを いつまでも放っておくはずがない、ということです。ただし、 主が来られる時に、このような信仰を持つ者たちがいるだろうかと、主は問うておられます。
 後半の例え話には二人の正反対な人物が登場します。
 ファリサイ派は厳格な律法主義者のことです。律法をできるだけ忠実に実行しようとしていたグループの一人でした。一方、徴税人はイスラエル人でありながら、ローマ帝国に協力して、同胞から税を取り立てていた人のことです。不正に取り立て 私腹を肥やすことで人々から嫌われていました。

 この対照的な二人が、神殿で祈りを捧げたのです。ファリサイ派の彼は自分の行いを羅列し、神様に自慢しているだけです。
 ところが徴税人の祈りはとてもシンプルなものでした。
 「神様。罪人の私をあわれんでください」と祈ったのです。
 この祈りこそ神様に聞かれ、彼は義とされたのだ、と主は言われました。神様に喜ばれる祈りとは、自分の罪や弱さを認めて、神様に愛と憐れみを求めることなのです。

 主の耳に届く祈りは「神様。私にはあなたが必要です。どうか助けてください。私を憐れんでください」と心から叫ぶことなのです。