今週のメッセージ2020/9/27)

「弟子たちへのしるし」ヨハネ2:1−12

 主はガリラヤのカナで結婚式に参列され、そこで最初のしるしを行われました。この箇所でよく言われ説明は、イエスと母マリアの会話の違和感を和らげようとするものです。
 主が母マリアに「婦人よ」と呼びかけたのは、失礼な言い方なのではなく、むしろ尊敬を表すものだという解釈があります。またカトリック教会では、この箇所からイエスは母マリアの願いを聞き届けてくださったのだから、私たちも母マリアに仲立ちしてもらえば主が願いをかなえてくださる、と教えています。
 さらに水がぶどう酒に変わった奇跡も、かめの中にはもともと古い濃縮されたぶどう酒が入っておりそこに水を入れたのでフレッシュなぶどう酒が出来上がったのだと説明されることがあります。
 しかし、私はこのような説明には大きな疑問を持っています。 ユダヤにおける婚礼は、服装は違いますが基本的な構成要素は現代のキリスト教の結婚式とよく似ています。その祝いの席で、母マリアはイエスに「ぶどう酒がなくなりました」と言いました。
 ところが主は「婦人よ、あなたはわたしとどんな関係があるのです。わたしの時はまだ来ていません」とお答えになっています。洗礼者ヨハネからバプテスマを受け、公生涯に入られた主は、生みの母であるマリアに対して、極めて厳粛な態度でお答えになられました。


 4「わたしの時はまだ来ていません」 それはまだイエス・キリストが人類の罪の贖いのために十字架で死ぬ時ではない、ということです。しかし召使たちが水を満たすと、その水を宴会の世話役のところへ持って行けと命じられました。
 当然のことですが世話役は、このぶどう酒がどこから来たのか知りませんでした。
 しかし、あの5つのパンと2匹の魚のように、主のみ言葉に従い、主に仕えた者は、主の御業の深さを知るのです。主がなされた御業は良い物、最上の物をもたらしてくださいました。
 主の御言葉は必ずなる!そう信じる人は幸いです。主の約束は必ずなると信じて御言葉を硬く守り、従う人、御言葉を行う人こそ幸いなのです。

 「私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。」ヨハネ1:14(新改訳)