今週のメッセージ(2021/5/30)

「命救うことで命狙われる」 ヨハネ11:38−57

 

  主は墓に葬られていたラザロを呼び出されました。 この出来事は弔問に来ていた人々の前で行われたものですから、非常に大きな波紋を呼びました。多くの人々が主を信じるようになりましたが、同時に最高法院の議員たちの耳にも入ったため、主イエスの殺害計画が決議されることにもなったのです。

 祭司長をはじめとする議員たちは、イエスを信じる者たちの増加がローマ帝国の介入を招き、神殿も国民も滅ぼされる原因になると考えたのです(48節)。そもそも彼らは47節で「この男は多くのしるしを行っているが、(私たちは)どうすればよいか」と問うています。彼らは主イエスが多くのしるしを行っていることを認めています。ラザロの死も単なる偶然やインチキではなく、その復活を否定できないからこそ悩んだのです。

 そうであるならば、彼らも主イエスを信じれば良かったのです。けれども彼らは主を殺すことを決断しました。それはヨハネ10:26で主が言われたように、彼らが主の羊ではなかったからです。主はラザロの命を救うことで命を狙われることになりました。しかし主が「だれもわたしから命を奪い取ることはできない」(ヨハネ10:18)と言われたように、十字架へと向かう主導権は常に主イエスの御手に握られていたのです。