今週のメッセージ(2021/6/20)

「一粒の麦」ヨハネ12:20−26

 

  明治時代に翻訳された文語訳聖書の中で、ヨハネ3章16節に次いで多くの人々に知られ、様々な文学においても引用されているのが12章24-25節の御言葉です。「誠にまことに汝(なんじ)らに告つぐ、一粒の麥(むぎ)、地に落ちて死なずば、唯(ただ)一つにて在らん、もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし。己(おの)が生命(いのち)を愛する者は、これを失い、この世にてその生命を憎む者は、之(これ)を保ちて永遠(とこしえ)の生命に至るべし。」

 「イエスにお目にかかりたい」と頼まれたフィリポは、アンデレと共に主のもとに向かいました。すると主イエスは、十字架につけられ殺されるという死の苦しみをご自身が「栄光を受ける時」と呼び、ついにその時が来たのだと宣言されたのです。麦が地に蒔かれるとは主イエスが十字架につけられることです。

 土に覆われるとは主の亡骸が墓に葬られること。実り豊かな収穫は主の復活を信じる人々に永遠の命をもたらすことに類比されています。主がご自身を私たちの罪を贖うための犠牲として死んでくださることがなければ、誰も永遠の命を得ることはできないのです。