今週のメッセージ(2021/10/10)

「なぜ主イエスを打つのか」ヨハネ18:15-27

 

 今日の御言葉は伝統的に「大祭司の裁判」と呼ばれる箇所が含まれています。著者のヨハネはその前後を使徒ペトロが自分をイエスの弟子ではないと否認する出来事で挟む形で福音書を記しました。つまり、主イエスはユダの裏切りによって捕らえられると、使徒の筆頭とも言うべきペトロからも否認され、イスラエルの宗教的な代表者である大祭司からも尋問を受けて捨てられたということです。それが主イエスの歩まれた十字架への道でした。

 「違う」と否認するペトロの姿はたやすく自己保身に走る私たちの姿そのものかも知れません。また、大祭司がイエスに行った尋問は主が語り続けた教えよりも、弟子のこと、つまり彼らにとって危険な集団であったイエスの信奉者の現状を把握することを優先するという為政者たちにとってはまことに実利的な都合によるものでした。しかし、主イエスが弟子たちについて何らかの情報を伝えたという記録はどこにもありません。むしろ主のお答えは「わたしは、世に向かって公然と話した」という教えに関するものでした。18:8で一隊の兵士たちを前に「わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい」と弟子たちをかばわれた主は、大祭司の尋問に際しても弟子たちを守り抜かれたのでした。

 主イエスの返答に対し、下役の一人が無礼であるとしてイエスを平手打ちされた時に語られた「なぜわたしを打つのか」と問われた理由について共に考えてみましょう。