今週のメッセージ(2022/3/20)

「議会の怒りと使徒たちの喜び」使徒 5:33-42

 

 かつてイエス・キリストが十字架で殺される時、ユダヤ人たちは「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」のだとローマの総督ピラトに向かって叫び、豪語していました。ところが、その主イエスが復活したことを使徒たちが大胆に宣べ伝えるようになると、彼らを捕えて「あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている」と尋問して福音を禁じたのです。

 けれども使徒たちは最高法院の代表者である大祭司の発言を真っ向から否定し、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と述べ、イエスこそ救い主であると宣言しました。この証言を聞いた議員たちはイエスを処刑したように使徒たちをも殺そうと考えるほど激怒したのです。

 するとここでガマリエルという人々から尊敬されていた律法学者が仲裁に乗り出しました。彼は2つの事例を引き合いに出し、使徒たちへの扱いに注意するよう呼びかけたのです。

 彼はファリサイ派(あえて言えば庶民派)でした。けれども多くの民衆から支持されている人物であるため、大祭司たちが属するサドカイ派(貴族)はひとまず彼の意見を取り入れ、使徒たちを鞭で打ち、イエスの名によって話すことを改めて禁じた上で釈放したのです。するとどうでしょう。使徒たちはさらなる喜びに満たされ、毎日、神殿や家々で福音を語り、イエス・キリストを宣べ伝え続けたのでした。迫害によっても消えることのないまことの喜びは、日々、神に従うところから生まれてくるのです。