今週のメッセージ(2023/8/27)

「信仰のない私をお助けください」マルコ 9:14-29

 

 主イエスが高い山から戻られると、そのふもとでは他の弟子たちと律法学者の間に議論が巻き起こっており、それを多くの群衆が取り囲んでいました。事の発端は、残されていた弟子たちには幼いころから汚れた霊に苦しめられていた息子を助け出すことができなかったことにあったようです。その議論の中で弟子たちや律法学者が何を論じ、どんな主張をしたのかという点について、聖書は何も述べてはいません。その一方で、悪霊が息子を苦しめる様子については四度も繰り返し述べています(9:18、20、22、26)。この親の子が悪霊によってどれほど苦しめられてきたのか察することができます。

 ところで、旧約聖書には若き日のダビデが竪琴を弾くことで悪霊に苦しむサウル王をなだめたという事例があります【サムエル上 16 章】。しかしながら、人が悪霊を追い出すという記事はほとんど見当たりません。旧約聖書の続編あるいは外典と呼ばれている文書には、悪霊の追い出しについて荒唐無稽な記述も見受けられますが、それは聖書の正典としては認められていなものです。いずれにせよ、悪霊の追い出しは神のなさることであり、神の御子である主イエス・キリストが、その御名の権威に基づいて信じる者に伴うしるしとしてお与えになるものです。その恵みに与るために必要なことは信仰と祈りであることを、この物語は私たちに教えてくれています。