宗教を真に必要とする今

 このところ、米国のスター独立検察官が連邦下院に提出した、クリントン大統領の不倫疑惑に関する捜査報告書、ならびに、大統領が連邦大陪審に対して行った証言のビデオテープが、世界中の話題となっている。

 しかも驚いたことに、その報告書のすべてならびにビデオテープの内容がインターネット上で公開され、世界中どこででもそれを引き出そうとすれば出来る状況なのだ。ただし分量的に膨大で、報告書は目次だけでも8ページ、ビデオテープは約4時間を要している。

 朝日新聞社は、翻訳した報告書の要旨を6ページにまとめ、自社のホームページに掲載した。最初の方には、「性的接触に関する表現は、本社の判断で直訳せず、間接的な表現に変えた部分があります」との断りがついている。

 それにして、包み隠さず公表する米国のやり方に驚かされる。日本ではあり得ないことだ。またそれでも辞任しないクリントンにも驚かされるし、さらにまた、それでもクリントンを見限らない米国民も驚きだ。経済をはじめ、国内が比較的うまくいっているので波風を立てたくないといったところが米国民の本音とか。

 しかし、"世界の警察"を自認する米国のトップリーダーの所業であることを考えると、他国のこととして傍観してはいられない。世界は実に病んでいるのだ。

 現代の世界は、いろいろな意味で、急速な拡大化、専門化、細分化が進んでいる。また他方では、物事を相対化して考える傾向が強い。そうした中で、物事の原点が見失われる危険にさらされている。

 そこで、今こそ宗教が最も必要とされていることを覚えたい。宗教とは"教(おしえ)の宗(もと)"なのだ。

 即ち、男女の問題も、神が人間を「神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(旧約聖書・創世記1:27)ということの中にその本質を知る鍵があるのだ。