聖書の健全な読み方

 

 自分個人の聖書を買い求めて、最初にページを開いて読んだ時のことを今でも覚えています。

高校1年の時、東海道線下りの客車の中でした。

当時、高校生や大学受験生向きの月刊誌として『高校時代』『蛍雪時代』といったものがありました。ある時それを読んでいると、夏休みの必読書として聖書とギリシャ・ローマ神話が挙げられていました。

 そんなことが動機となり、また、当時アメリカ人宣教師の週一度のバイブル・クラスにも出席していたこともあって、聖書を買って読もうという気になり、学校の帰りに連尺の谷島屋書店に立ち寄ったのだと思います。

黒の表紙で三方が赤く縁取られた新約聖書でした。例のキリストの系図から読み進んでいったわけです。よくわかりませんでしたし、読み進んでいくのに忍耐を必要としました。

 初期の頃抱いた印象は、福音書を例に取るならば、小説や伝記と比べた場合、ストーリーがぶつ切れでつながって流れていかないように感じました。また、なぜ同じようなものが2つも3つもあるのだろう、とも思いました。正直、必読の書にしては一般向けでないとも感じました。

 今振り返って、初期に感じた印象は決して的外れではなかった思います。まさに聖書の持つ独特な性格を感じ取っていたと思います。

 途中で退屈して放り出さないで、また自分勝手な誤った解釈に陥らないで聖書を読む秘訣があるとするなら、それは次のことです。即ち、教会に通い、そこでの聖書のお話しを聴きながら自分でも読む、ということです。教会は、信仰者を生み育む母の胎、だからです。