今週のメッセージ(11/8) 

宗教の至高的価値性

 

 少々個人的な話しになるが、まだ教員をしていた頃、毎年、卒業アルバムを作成する時期が来ると、教師は色紙に卒業生に贈ることばを記すことが習わしとなっていた。

そんな時、記したのは次の聖書のことばであった。

 「人が見て自ら正しいとする道でも、その終わりはついに死に至る道となるものがある。」(旧約聖書・箴言14:12、協会訳)

当時、教育畑に身を置きながら、教育というものに限界を感じ、ここは自分が骨を埋めるべき場所ではないと思い始めていた。上記の聖書のことばは、そんな中で自分にとって教育の限界を示唆するものであった。

同じ箴言の14章をさらに読み進んでいくと、次のようなことばにも出会う。

「主を畏れることは命の源、死の罠を避けさせる。」

                  (同27節、新共同訳)

 このことばは、教育がそれの持つ限界の故に担いきれない領域を担ってくれるものがあることを教えている。それは、「主を畏れること」であり、言いかえれば、宗教あるいは信仰と呼ばれるものがそれなのだ。

 一口に宗教と言ってもいろいろなものがあるし、中には殺人や金銭トラブルを巻き起こして社会から大顰蹙を買っているものもある。故に宗教が社会からはとかく警戒されがちな昨今なのだが、しかし敢えて叫びたい。正しい宗教は本来「命の源」、そして「死の罠を避けさせる」もの、人間にとって至高的価値を持つものなのだ。