今週のメッセージ(12/20)

 

「聖書」と「小説『聖書』」

 

 今年、静かなブームを呼んだものにウォルター・ワンゲリンの「小説『聖書』」(徳間書店)があります。すでに読まれた方もおられると思います。クリスマス・シーズンを迎え、あらためていわゆるクリスマス・ストーリーの部分を読んでみました。

「聖書」と比べてみると、神学的なことは別にして、登場する人物の心理描写やその場面の情景描写がこまやかです。婚約者マリヤのからだの異変に気づいたヨセフの心の内や、同じく嫁入り前のわが娘の異変に気づいたマリヤの両親の苦悩といったものが手に取るように描かれています。マリヤがベツレヘムの馬小屋で出産するシーンもドラマチックです。

そこへいくと「聖書」の記述は実にあっさりしています。心理や情景の描写はほとんどないといっても過言ではありません。淡々としています。「聖書」が、いわゆる降誕物語に費やしているスペースは約5ページ半。他方、「小説『聖書』」は約28ページです。「聖書」の約5倍です。

以前、「聖書」の記述がもう少しドラマチックだったなら読みやすいのに...と考えたりしたことがありました。しかし、もし「聖書」が小説的な描写を取り入れたなら、ボリュームはさらに何倍にも増えます。また「聖書」が伝えようとする焦点がぼけてしまう危険性があります。心理描写や情景描写は妥当な推理を働かせれば人間にも可能です。しかし、神の出来事の事実とそれの持つ意味は人間の推理や勝手な付加は許されません。神がご自身からのメッセージとして人間に啓示されねばなりません。そして「聖書」とはまさにそのような書なのです。