今週のメッセージ(1/3)

無くてならぬもの

 

 新年明けましておめでとうございます。

 「元日や冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」とは、新年を迎える毎に昔からよく引き合いに出されてきた有名な和歌です。新年を迎えると心もあらたまり、なんとなくめでたい感じがするのですが、他方、昔はお正月毎に歳が増していく年齢の数え方でしたから、また一歩冥土に近くなったと考えるとめでたくもない、いうわけでしょう。

 クリスマスが自分の生き方を振り返ってみる時であるように、新年も自己の生とか死というものにふと思いが及ぶ時かもしれません。

 あと二、三日もするとまた通常の忙しい生活が戻ってきます。忙しさには大きな落とし穴があります。

 新約聖書の『ルカ福音書』の10章に、マルタとマリヤという姉妹が主イエスを自宅に招いておもてなしをした記事が載っています。姉のマルタはひとり忙しく接待につとめます。他方、妹のマリヤは、主イエスのそばに座ってじっと教えに耳を傾けます。そのうちにマルタは忙しさの余り心取り乱し、主イエスのところに行き、語気も荒々しく、あなたからも妹にわたしの手伝いをするよう言って下さい、というのです。ここに主客転倒が起こっています。手段の目的化が生じています。忙しさの落とし穴です。

 その時主エスはいわれます、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ」と。

人はパンだけでなく、神のことばで生きる者だからです。