今週のメッセージ(2/14)

 

カーニバル(謝肉祭)に思う

 

 今年もそろそろカーニバル(謝肉祭)の時期となりました。日本ではあまり馴染みのないお祭りですが、それでも"リオのカーニバル"の様子は毎年テレビ等で報道されるのでご存知の方も多いと思います。例の裸に近い女性達がサンバのリズムに乗って激しく体を揺すりながらパレードするあれです。時には死人も出ると言われています。

 このカーニバルはその後に続くレント(受難節)と呼ばれる期間に対する曲解ないしは反動で始ったようです。レントとはキリストの復活を祝うイースターの前の40日間(厳密には6回の日曜日を除く)で、キリストの十字架の死の出来事に想いを巡らしながら、併せて自らの生きざまを吟味点検し、軌道修正をしていく期間です。この時期、西欧のカトリック国では肉食や酒を断つ習慣があるため、その前にドンチャン騒ぎが行なわれることになってしまったようです。謝肉祭という日本語訳もそうしたことと関連しているのかも知れません。

 どうもキリスト教というと禁欲主義的イメージがあったり、それへの反動でドンチャン騒ぎがあったり、の感じですが、聖書の教えはそれらとは全く次元を異にしています。変に禁欲的ではありませんし、さりとて勿論はめをはずしてやりたい放題を勧めているわけでもありません。そこには人間を創造された神からのメッセ−ジとして、真の人間らしい生き方とはいかなるものかが教えられ、併せてそれを生きるいのちの力の源泉が与えられています。自由がやりたい放題と勘違いされる向きのある昨今です。そんな中で聖書の教えに注目してみることはとても意義深いことです。