今週のメッセージ(3/28)

 

十字架につけられたキリスト

 

 キリスト教会の暦では、今週は『受難週』と呼ばれる特別な週となっている。十字架にかかられたキリストを想いながら過ごす週なのである。

 キリストが十字架に磔にされた出来事は歴史上の事実として認識されている。しかし、その十字架の死の意味するところとなると、世間一般では、宗教的指導者の殉教死程度にしか理解されていないようである。

 ところで、十字架というと、それは当時のローマ帝国がローマ人以外の重罪人に課した処刑装置であった。しかし、それが今や首飾りやペンダント等のアクセサリーとして用いられている。考えてみれば、絞首台や電気椅子またギロチンを飾りにしているようなものである。もっとも髑髏等がアクセサリーにされる昨今ゆえ、不思議はないと言えば言えなくもないが、十字架の場合は、本当に美しいものとしてアクセサリーにまで用いられるにいたったのである。

 では、その秘密はどこにあるのかというと、実はキリストの十字架にあるのである。パウロという使徒は次のように言っている。

 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシャ人は知恵を求める。しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシャ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。(Tコリント1:23,24)

 この受難週に最寄りの教会に行かれ、キリストの十字架の意義を探ってみてはいかがでしょう。