今週のメッセージ(5/16)

 

「良心」について

 

  「私は黙っていたときには、一日中、うめいて、

  私の骨々は疲れ果てました。

  それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、

  私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。」

                (詩篇32:3,4)

 

上のみ言葉は、旧約聖書の中の詩篇に出てくるもので「ダビデのマスキール」という表題がついています。この詩の背景には、ダビデ王とその部下ウリヤの妻バテシバとの不倫問題があったと考えられています。不倫の罪を犯してしまったダビデは、良心の呵責の苦しみを述懐しています。

ところで、最近のさまざまな社会の現象を見聞きするにつけ、人間の良心について考えさせられます。「良心」という言葉は、(新約)聖書の原語であるギリシャ語ではシュネイデーシス、またラテン語ではコンシエンティアといわれるもので、両方とも元々の意味は「共に知る」というものです。従がって、両方とも「共に」という意味合いの中に、自分とは別の「もう一人の他者」の存在を示唆していると考えられる言葉といえます。

「もう一人の他者」とは一体誰を指すのでしょうか。それは人間をご自身のかたちにかたどって創造された創造主であられる神さまです。

人間がまことの神さまから遠ざかれば遠ざかるほど、人間の良心というものは鈍くなっていき、真の人間でなくなる方向へ行ってしまうのです。

これこそが、現代の日本の社会が抱えている重大な危機です!