今週のメッセージ(7/11)

 

数の多少と真理の判別

 

 テレビのクイズ番組や世の風潮を見ていて時々気になることがあります。そのひとつは、数の多少がその正誤を決めるかのように思われているふしが感じられることです。

 よく子どもが自分の主張や要求の正当性の根拠として"みんなそうしてる"ということがあります。

 いろいろな時、いろいろなところでよくアンケートがとられます。そしてその集計結果が正しさの根拠付のように使われることがあります。

 もちろん、数の多少で事を決するのが妥当なことは沢山あります。しかし数の多少で決することができない性質のものもあるのです。

 自然科学的領域の真理はその正しさを証明する作業プロセスを経てきていますから、数の多少に関係なく受容されます。

 しかし、宗教的真理となるとそうした扱いが通じない領域のものです。たとえば、神の存在などは「ピタゴラスの定理」を証明するように証明できるものではありません。大体、証明するという行為は、その対象となるものが人間の手玉に取れるものだけです。しかし、神という存在は人間が手玉に取られこそすれ、逆に人間が手玉に取ることなどできません。それができる神など真の神ではないのです。

 ところで、人間の生の意味、死の向こう側、性、結婚、道徳、また世界の始まりと終わり、といった人間の存在と生の根源に関わる問題は、宗教的な真理を必要としています。数の多少を判断の物差しにしていると、肝心なことが見えなくなる危険があります。