今週のメッセージ(7/18)

 

宗教を持つことの必要

 

 毎週水曜日の夜のテレビ番組に『ここがヘンだよ日本人』というのがある。日本人のレギュラーならびにゲストの出演者と、日本に滞在しているさまざまの国からの外国人の出演者たちとが、設定されたテーマに基づいて侃侃諤諤(かんかんがくがく)の論議を闘わせるのである。あまり品のいい番組ではないが、テーマによっては面白い番組でもある。先週のテーマは「自殺激増・日本人よなぜ死に急ぐのか?」であった。

 勿論、日本人にも外国人にもさまざまなものの考え方や主張があるのであるが、この日際立ったのは、いのちは神から与えられているものだから自殺はよくないとする一外国人の意見に対して、日本人のしばしばテレビにも登場する某評論家が、それはキリスト教やイスラム教を信じるあなたがたの考え方であって日本人は違う。いのちはその人自身のものだから、それをどう扱うかはその人の自由である、と主張したことであった。

 一般的に言って宗教というものは、確かに絶対的なものを信じて生きることの故にそれのもたらす危険や恐ろしさがあるといえる。しかし、宗教を持たないとすると、すべては相対化されてしまい、最終的な結論は結局、その人の利益、都合、好みによって決められてしまう危険がある。

 下記の聖句は反意的対句で、「幻」は「律法」と同義になっており、人は神のことばを持たないとほしいまま、即ち、わがままになると警告している。

 「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。

しかし律法を守る者は幸いである。」(旧約聖書・箴言29:18)