今週のメッセージ99.08.22

トルコ大地震報道に思ったこと

 

 去る17日未明にトルコ西部を襲った大地震について、連日、テレビ、新聞等で報道がなされています。各国から次々と救援チームが派遣され、すでに救援活動が展開されています。わが国から派遣された国際緊急救助隊も、地震発生から2日ぶりで瓦礫の下敷きになっていた74歳の女性を救出したとのことです。

 そうした救援活動に関する報道によると、トルコ政府は、外国からの救援チームを海軍基地の兵士など「官」の救出を優先させて配置しているとのこと。つまり「民」の救出は後回しにされてしまっているとのことです。(日本からチームは「民」の救出に当たっているとのことですが。)

 そうしたことから、『天声人語』氏によると、大地震に襲われた都市の一つグルジュクの住民の間からは、「トルコでは人間の命にも差別がある。軍が優先で、民間人は後回しだ」、と不満が噴出しているとのことです。

 ところで、これらの報道を読んでいて何とも言えない思いに襲われました。それは先の『天声人語』(20日付)の終わりに書かれていたことです。救出が後回しにされてしまっている民間人が、「普通の市民は神しか頼れない。祈るだけだ」、と語っていたというのです。そこにおいて「神に頼る」また「祈る」ということが、"最後の頼みの綱"であると同時に"ほとんどあてにできないもの"のような響きに聞こえて来たことです。キリスト者の一人として祈りの力の証しの責任を強く感じた次第です。

 

 「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」  (新約聖書・ヨハネの福音書15:7)